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わがまち港北
わがまち港北
【大倉精神文化研究所】(水彩:髙井祿郎)

当協会評議員の(公財)大倉精神文化研究所の平井誠二先生と林宏美さんが地域を取材して執筆した郷土の情報です。
(毎月更新)

港北区の生涯学習と区民活動を支援する情報紙「楽・遊・学」にも掲載中です。

シリーズ わがまち港北 第225回
古い資料からの新たな発見 ―終戦秘話その25―

筆者の勤務する大倉精神文化研究所では、研究所の設立準備を始めた大正末から現在に至るまでの多くの資料を所蔵しています。現在も未整理資料の整理は続いています。また、地域の方や、かつて研究所に関わっていた方、あるいはそのご子孫の方から資料をご寄贈頂いたり、借用した資料を複写したりして新たに受け入れる資料もあります。

昨年12月、菊名の石井肇(いしいはじめ)さんが、大倉精神文化研究所本館(現、大倉山記念館)建築中の写真や資料をお持ちであるとのことで研究所にお越し下さり、後日その資料を見せて頂きました。肇さんの父、石井延三(いしいえんぞう)さんは、研究所本館建築工事の現場監督を務められた方です。資料には、研究所から延三さんに発行された現場監督の嘱託(しょくたく)・解職(かいしょく)・給与の辞令、建築中の様子を撮影した写真や大倉山を訪れた設計者の長野宇平治(ながのうへいじ)一家の写真などを収めたアルバムがあり、研究所ではそれらの資料をお借りして、複写させて頂きました。

調べてみると、研究所には延三さんの辞令の発行控がありました。研究所本館の建築工事では3名の現場監督がいましたが、延三さんは建築工事が行われた昭和4年(1929年)10月から昭和7年(1932年)3月、最初から最後まで携わった2名の現場監督のうちの1人だったようです。また大倉精神文化研究所の建築工事中、敷地内から弥生(やよい)式土器や石器類が出土しましたが、その発掘箇所の略図を書いたのが延三さんだったこともわかりました。延三さんは明治44年(1911年)生まれで、現場監督となった時には18歳でしたが、それ以前にも長野宇平治設計のビル工事などに関わっていたそうです。若いながらもその能力や人柄を見込まれていたことが窺えます。しかし大変残念なことに、延三さんはその後、戦争でフィリピンのミンダナオ島に派遣され、現地で亡くなられたそうです。合掌。

研究所の旧所員だった故小森嘉一(こもりよしかず)さんのご遺族からは、小森さんがお持ちだった資料をご寄贈頂きました。小森さんから生前お聞きした話はこれまでにも取り上げてきました(第2回、第3回、第33回、第44回、第59回)。

小森さんの資料はその内容も年代も多岐(たき)に亘りますが、その中に、太平洋戦争末期に大倉精神文化研究所本館の建物を借用して業務を行っていた海軍気象部大倉山分室に関する資料がありました。終戦直後、水路部へ移管する気象部の物品の保管を研究所に依頼した文書や備品目録、研究所に運びこんでいた統計学に関する洋書の受領証など、研究所と海軍気象部とのやりとりを直接的に物語る新たな資料です。また、研究所では戦後、海軍気象部から払い下げられたと見られる観測用紙の裏紙を事務書類の作成に使用していましたが、小森さんがお持ちだった研究所の書類の中には、これまでに見たことのない観測用紙を使用したものが多数ありました。

戦争に関わる資料は他にもありました。その一つが伝単(でんたん)です。伝単は紙の爆弾と言われ、戦争の際に相手国の兵士や市民の戦意を喪失(そうしつ)させるために配布されたビラです。小森さんがお持ちだった伝単はB6判の両面ガリ版刷りで、表には昭和20年7月26日に発表されたポツダム宣言を受けて日本政府が連合国側に通達した内容、裏にはそれを受けて「米国々務長官より日本政府へ伝達したメッセーヂの全文(8月11日)」が書かれていることから、この伝単は8月15 日の直前に投下されたものであることがわかります。

なお、伝単については以前、篠原町(しのはらちょう)の臼井義常(うすいよしつね)さんが、篠原城址の空堀(からぼり)に落ちた伝単が入っていた大きな爆弾のような容器を掘り出して持ち帰ったことを第80回でご紹介しました。この容器とその中に入っていた伝単については、『新横浜50年の軌跡(きせき)』の中で詳細が書かれていますので、ご覧ください。

終戦後、明るさを取り戻しつつある地域の様子が垣間見(かいまみ)える資料もありました。太尾町青年同志会(ふとおちょうせいねんどうしかい)によるお盆の催(もよお)し、演芸大会開催の案内状です。青年同志会は、戦争で荒れ果てた郷里を復興しようという思いの下に結成され、今の記念館に向かう坂道に復興を願って桜を植えたことを第191回で紹介しました。青年同志会からのこの案内状には「今年も8月となりまして早や10日であります。歳月のめぐりは早いもので、あの終戦の詔書(しょうしょ)を受けましてより満一年となります。」と書かれており、昭和21年(1946年)8月10日に配布されたことがわかります。演芸大会は14日午後5時から池内精工株式会社前に設けられた演芸場を会場に、町内の児童が出演し、ご近所みんなで集まって夕涼みの一刻を楽しく過ごして欲しいとの思いから行われたようです。池内精工は昭和61年(1986年)まで現在の大倉山5丁目にありましたが、現在その跡地はマンションのダイアパレスグランデージ大倉山になっています。

記:林 宏美(公益財団法人大倉精神文化研究所研究員)

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