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わがまち港北
わがまち港北
【大倉精神文化研究所】(水彩:髙井祿郎)

当協会評議員の(公財)大倉精神文化研究所の平井誠二先生と林宏美さんが地域を取材して執筆した郷土の情報です。
(毎月更新)

港北区の生涯学習と区民活動を支援する情報紙「楽・遊・学」にも掲載中です。

 シリーズ わがまち港北 第219回
 12年に一度の霊場巡り―その7―

港北地域には霊場巡りがいくつもありますが、その多くは、十二支に合わせて12年に一度の御開帳です。

この連載でも、これまでに子歳観音(ねどしかんのん)の御開帳(第112~114回参照)や、寅歳薬師(とらどしやくし)の御開帳(第135~137回参照)を紹介してきました。

平成26年(2014年)の午歳(うまどし)には、准秩父(じゅんちちぶ)三十四札所観音菩薩霊場の御開帳がありました。その紹介は、都合により次回の御開帳がある2026年にさせていただきます。

さて、今年は酉歳(とりどし)で、都筑橘樹(つづきたちばな)酉歳地蔵菩薩(じぞうぼさつ)霊場と武相(ぶそう)不動尊霊場の御開帳がありますので、紹介します。何度か書いてきましたが、寺社等は信仰の場ですから、参拝される時はマナーに気をつけて下さい。

都筑橘樹酉歳地蔵菩薩霊場

お地蔵様は、正式には地蔵菩薩といいます。仏教の教えでは、お釈迦様(釈尊(しゃくそん))が死亡(入滅(にゅうめつ))した後は、56億7000万年後に弥勒菩薩(みろくぼさつ)が仏(ほとけ)として出現するまでの間、現世に仏が不在となります。そのため、地蔵菩薩が六道(ろくどう)(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅(しゅら)道・人道(にんどう)・天道)を繰り返し生まれ変わり(輪廻(りんね))、苦しむ衆生(しゅじょう)を救うといわれています。

この地蔵菩薩を参拝する都筑橘樹酉歳地蔵の始まりは、江戸時代中期に遡るようです。飢饉や洪水により世情が不安定となり、苦しめられた庶民が、札所(ふだしょ)を巡り念仏や御詠歌(ごえいか)を唱え、現世利益(りやく)と来世の安楽を祈念したことがその始まりといわれています。

地蔵の縁日である24日にちなみ、当初の札所は24ヵ所でしたが、近代になり番外の1ヵ所が加わり、現在は25ヵ所になっています。名称のごとく昔の都筑郡と橘樹郡に分布しています(横浜市青葉区・都筑区・港北区、川崎市中原区・高津区・宮前区)。

今回の御開帳は、4月16日(日)~5月8日(月)の9時から17時です。では、港北区内にある札所を順に紹介していきましょう。

6番札所 北新羽(きたにっぱ)地蔵堂(高野山真言宗)

御詠歌  極楽と 心さだめて 詣(まい)るべし 地蔵菩薩の つなに ひかれて

新羽町の内、字新田谷(あざしんでんやと)、北ノ谷(きたのやと)、真間門谷(まかんどやと)、海老ヶ谷(えびがやと)を北新羽といいます。北ノ谷の綱引山(つなひきざん)地蔵堂は、江戸時代に、村内の光明寺(こうみょうじ)の境外仏堂(けいがいぶつどう)として創建されました。本尊の厄除(やくよけ)延命地蔵は、北ノ谷の女性20人が宝永(ほうえい)4年(1707年)に造立(ぞうりゅう)したものです。戦後、土地は国有地となり、現在のお堂は、昭和39年(1964年)に北ノ谷の方々が再建したものですが、昨平成28年(2016年)一度曳(ひ)き家(や)をして基礎から改築しました。北新羽会館の前にあります。

7番札所 神隠堂(かみかくしどう)

御詠歌  小車(おぐるま)の まわる輪廻は 神かくし あらはしたまへ むねの御仏(みほとけ)

因果(いんが)の小車といいます。原因と結果は小さな車が廻るようにすぐに巡ってくるという意味の諺(ことわざ)です。神隠は新吉田町の字の1つですが、隠すと表すが対(つい)になっています。

延命地蔵菩薩は、甲斐(かい)武田の家臣山本勘助の守り本尊だったとの伝説があります。神隠堂があった場所は中町のバス停付近で、浄流寺(じょうりゅうじ)の飛地境内となっていましたが、前回平成17年(2005年)の御開帳のすぐ後に、浄流寺へ移されました。それを記念して、お堂の詳細を記録した、相澤雅雄著『都筑橘樹酉歳地蔵菩薩霊場第七番札所神隠地蔵堂縁起』が発行されています。

8番札所 浄流寺(じょうりゅうじ)(浄土宗)

御詠歌  むつの字の 契(ちかい)はかりを 力草(ちからぐさ) 罪の衆生も たのみあるかな

むつの字とは、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の六字名号(ろくじみょうごう)のことです。力草とは、力になるものと頼(たの)みにすることで、下の句の「たのみ」と掛けてあります。

新吉田町の浄流寺は、小机の泉谷寺(せんこくじ)末で、天正(てんしょう)12年(1584年)真誉伝公(しんよでんこう)(1598年寂)が開山し、境内左手の地蔵堂もその時に建立(こんりゅう)されたと伝えられています。八番札所の延命地蔵は、元文(げんぶん)3年(1738年)大仏師高橋大学作で、現在は本堂に安置されています。

地蔵堂は昭和40年(1965年)と、平成25年(2013年)に再建されて、名を榎堂(えのきどう)神隠堂と改称し、7番札所と9番札所の2体の地蔵を安置しています。

9番札所 榎堂

御詠歌  よしあしも ともに吉田の榎堂 大悲(だいひ)の功徳(くどく) あらはれにけり

「よしあし」は、「善し悪し」ですが、吉(よし)田の地名の由来とも掛けてあるのでしょうか(第161回参照)。大悲とは、地蔵菩薩が衆生の苦しみを救う大きな慈悲のことです。

榎堂はかつて新田(にった)農協の脇にあり、字宮ノ下(あざみやのした)・四ツ家(よつや)の講中(こうちゅう)により信仰されてきましたが、百目鬼川(どうみきがわ)の改修に伴い、昭和40年(1965年)に8番札所の浄流寺に移転しました。

『新田(にった)むかしむかし』第1号によると、この延命地蔵は妹(いもうと)地蔵といい、対(つい)になる姉地蔵が下田にあるそうですが、今では忘れられた伝承のようです。

記:平井 誠二(公益財団法人大倉精神文化研究所研究部長)

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